しっかりしたい
よく「強くなりたい」と言うことがあります。でもこの「強く」は何に対してなのでしょうか。もしそれが他人との関係で言っているのであれば、他人の感情や居場所を奪ってでも物事を自分の思い通りに動かしたいということになるかもしれません。
そうやって自分の苦しみを他人に押し付ける。だからいつまでも「弱い」のです。
ではどういった受け止め方で「しっかりしている」ことが理想的か。それは自分のダメなところや失敗を真っ直ぐに受け止められることです。これはあなたが接する他の人の心を和らげ、あなたを受け入れてくれる方向に導いてくれます。そして信頼を得ることもできる。そして強くなった自分に驕りを持たないことです。
そもそも何において強いのかということ自体が人それぞれなわけですが、もし仮に自分のいう通りの「強さ」を得られたとしても、自分の強さに酔いしれていたとしたら、それは他人の心の中では呆れられます。それはやがて止まることのない憎しみのやりとりが生まれかねません。そうしている間にあなたの寿命は尽きます。
他人・友達・家族などの横の軸のつながりで強弱を求めるのではなく、自分という生きて死ぬまでの時間の中で常にいろんなことを受け入れて吸収し、時に諦めることで自然と強くなっていくものだろうと思うわけです。