下北沢「甘ゐ毒」生きてる人、いますか 26
見えない細菌で鼻息の弱まった報道機関。それらがかつて槍玉にあげた国や行政、その砦を200人を率いる機動隊が包囲した1969年1月の新宿西口公園の紅テントで、表現を貫いた唐十郎に魅了されてきた個人が、やがて時の変容によって生まれたポケットに入る地下室を各々が得るようになると、その偉大な匠もまた紅テントの半数にも満たせぬ映像チャンネルのエキストラ。 かつて唐十郎は語った。 「テントは日常を壊すために立てている。*」 「(一人芝居に)そんなに1人が面白いのか。それは病気じゃ無いのか?*」 「(一人芝居は)小さなスター主義だ。それはだめだと思うんですよ。唯名性に齧り付いてる馬鹿な現象であって。自分を泥団子の中に放り出すような、無名のシチュエーションに放り出すようなことしないとだめだと思うんですよ。」 そうだろう。 だからこうして名前ひとつ武器にできない私には同調する権利があるはずだ。 しかしあなたは続ける。 「でも無名性って商売になりませんからね。1人でいることが耐えられなくなって、人に飢えて飢えて仕方ない、そんな枯渇状態の一人芝居ならいいと思うんですよね*」 俺は一、人間として。己の寂しさと欲望に悶えつつも、本来1番やりたくない姿を晒し、自己の解放として映像を垂れ流し始めた。ただそれと同時に敗北の一途を辿っていることは認めねばならない。 「都市が瓦解し出して、自分の欲望がなんなのかを知らず、みんながしていることをしだしている。個人の欲してるものがわからなくて、群として消費するようになってきている。それと付き合わなくちゃいけない。そういう通行人を振り向かせなければいけない*」 俺の作ったものは傲慢ではないという理屈の傲慢だ。見ていろ。結婚ひとつまともにできないヘソのゴマにも満たぬゴミカスの私が、しかし世界を理解しようとすることに無意味さを感じつつも構造化する方法をどのように創り出すかという。結果的には似たような不自由さの自慰に狂った徒党として。同期の桜よろしく遠い未来で語り合おうじゃないか *引用 = NHK BS 20世紀演劇カーテンコールより 00:00 通話:電話しかないからね 00:36...