いのちの理由

十数件しかなかった村が4000万人の世界最大の都市に飲み込まれていくる中で人生を歩んだ私の大好きな祖父母には「生きることはうまく行かないこと」という前提があったと感じます。人の交流も情報も行き交う全く異なる時代。同じ人間としてヒントになるものを秘めていると思い、こうしていま私と関わっていただけているあなたの幸せを祈る場所をここにつくりました

祖父母の話
二輪草
二輪草生きる力をくれるひと 子供は裸足で歩き十数世帯しかない村。いまと同じ東京とは思えない時代にふたりは生まれる。幸せは目指すものではなく、いまを幸せと感じられる心だと後ろ姿で伝えてくれた。そんな姿勢が世界の誰かに生き続けてほしいと願って。ふたりをまとめた。
おばあちゃんの哲学 だってしょうがないじゃない 明るく笑うおばあちゃんの口癖は、人生というのがうまくいかないことを前提としている見方に現れていた。そんなおばあちゃんは、亡くなる1ヶ月前まで塗り絵をしたり計算をするなど学ぶことを欠かさなかった。「しょうがない」という言葉に至るまでの努力、それでも駄目だったという失敗を認めること、それを「徳」というのだと思う。 どれだけ欲深くあっても良い、だけど徳がないとね おばあちゃんは父がいないシングルマザーの環境で生まれ、貴重な男手であった兄も結核で亡くした。元々はある程度恵まれた家系だったようだが、そんな環境で厳しくなっていく状況で生き方や様々な人間関係を目の当たりにしただろう。自分と向き合うことも人一倍あったように思う。 いろんな考えの人に囲まれると、人それぞれの考えを認めないといけなくなる。そのため普段、自分の子供や孫を含めた他人に対して「こうした方がいい」と語らなかったが、人との関係で話をするとおばあちゃんはこう話す 他人をコケにしなければいい 思えば旅行をするときも親類の集まりでも、他人に期待を向けずに笑って生きるおばあちゃんは時に「変な人」として扱われやすかったように見えた。しかしそういった扱いを受けても動じない考えや、同じ人の中にも好きな部分と嫌いな部分があるという見方は、長く付き合う人には安心感を与えて大切にされやすい面もあった。 考えを貫きながら誰ともぶつからず、自分が大切にしてくれる人を自然とふるいにかけているようにも見えた。 あの人は偉いんだね それでも他人に対して苦手な面を知った時は、嫌な人とか悪い人とは言わなかった。必ず「偉い人」と口にした。これもまた言われた側は悪口を言われてるとは気付きづらい。 まっすぐだけど、だからと言ってぶつかることは「みっともない」と避ける。そこにおばあちゃんとしての哲学があった ふたりの歩み 享保12年 1727年まで おじいちゃんの先祖 埼玉県の騎西の集落より、荒野だった野中(花小金井のこの地)へ移り開拓する。この地の開拓で指揮をとったのが花小金井駅前にある黄檗宗・円成院であり、以来祖父の家系は黄檗宗派となる おばあちゃんの先祖 享保の改革によって先祖が柳窪(東久留米)へ入植した。 なお向かいの奥住さんの先祖である奥住又右衛門さんが旅先から持ち帰った穂からできた「柳久保小麦」は、屋根材からうどんまでこの地区で利用された 大正15年2月24日 おじいちゃん 北多摩郡小平村野中新田与右衛門組(現在の花小金井)に二男として生まれる 昭和2年1月5日 おばあちゃん おばあちゃんが生まれる https://www.youtube.com/watch?v=CvzykSY6Zb8 Youtube – COTA「距離感泥棒」結核で兄を亡くした話 昭和10年ごろ カメラとの出逢い おじいちゃん 農業の傍、暇ができた時には仲の良かったお兄さんと東京の繁華街や闇市へ。新宿に自転車で行ったときは警官に怒られる。 このあたりでハーモニカのほか、写真の趣味を始めるきっかけとなるカメラを浅草で買う。それがいつしか周囲でカメラ好き農家として周囲で知られるようになる おばあちゃん 下里の方の学校まで通う。裸足で歩くこともあったくらいだったというが、それをみっともないと注意された覚えもあるのだとか https://www.youtube.com/watch?v=sflj4S7Sv8Y Youtube – COTA「また、会えますように。」新型コロナで振り返る結核流行当時の話。 1940年ごろ おじいちゃん 17歳〜18歳くらいの時にラジオが家に来る…

育った家
花の家ご案内
花の家ご案内花の家トップ 春には梅や桜に鳥たちの鳴き声、初夏は水仙や紫陽花、夏は蝉の抜け殻が落ちていて、秋は紅葉や白木蓮。周囲は宅地開発が進んで畑や雑木林が消えていく中で、実際に私 COTA が子供の頃も家の周りは時に天国のように映った。そして同時にこの場所は、私 COTA にとって自然からの学びの場所でもあった 家のご案内
2020/4/12 360°記録 まだ手入れを行っていたため雑草は目立ちません。2020年の春、祖母が居間にいて話しています。屋外の映像では私が写り込んでしまっています 360°映像を見る 2023/6/17 360°記録 最後の夏。手入れをしていないため雑草が繁茂してしまっています。物置の中など2020年よりも細かく映しています 360°映像を見る
各視点から見た記録は 2023年6月の360°映像 からご覧いただけます

記録好きの祖父
おじいちゃんの写真部屋
おじいちゃんの写真部屋写真部屋 子や孫に対してもこうしたほうがいいということは一切言わない祖父だったので、何十年と隣にいながらも私淑という形に近かった。おじいちゃんが撮った写真をアーカイブ 毎日書いていた旅の記録の日記は下記にまとめました お気に入りアルバム

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青森県

15歳

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りなぴ。

感謝を込めて。

東京都

18歳

りなぴ。さま

みや

だいすき

青森県

15歳

みやさま

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おばあちゃんの好きな曲



建墓

この場所に込めた意味

人間は誰でも何かしらを教訓として生きる。私 COTA にとっていちばんの道標は おじいちゃん であり おばあちゃん だった。人間はどの段階においても完璧はなく、完璧を感じたくなるのは不安や己の至らなさへの無自覚だと考える。

完璧であるのではなく祖父母のように人間らしく愛される意味で自らを律する意味を込めこの場所に築くこととした。よってここは本来の意味合いの墓である

筆者と祖父母の記録
生い立ちと祖父母と/is/trace生い立ちと祖父母と 主に祖父母との関係を中心にCOTAの今までを動画や写真を交えてまとめた ハイライト
年表で辿る 1985.3.13生まれる 出産時に怪我をしたため、そのまま大学病院へ。祖父母の家(花の家)でしばらく過ごすことに。その後当時の実家へ向かう。 毎週来てくれた祖父母とはじめての動画撮影 ビデオカメラを初めて回される。 https://vimeo.com/858632794 https://vimeo.com/858632907?share=copy おじいちゃんがはじめてするビデオ撮影 1987.2.8三輪車で土手 おじいちゃんとおばあちゃんは生まれてから幼稚園に通う3歳まで毎週のように片道二時間かけて来てくれた https://vimeo.com/858633409?share=copy