お彼岸の墓参りと花の家で見つけた最後の日記に満開のハクモクレン

お彼岸のお墓参りで恐らく幼少期ぶりに小平駅で降りた。車や人が賑わっていて、昭和初期の霊園開園時からそのままであろうかなり古くからの石材屋や花屋が並んでいた。霊園は広々としていて圧迫感を感じさせず心地よく、赤松など木々が立派だった。おばあちゃんが育った村の(東)久留米の語源だという黒目川の源頭である さいかち窪 の脇を通った。
おじいちゃんとおばあちゃんのお墓がある小平聖地公園に着くと、墓前には先月に供えた花がまだ咲いていた。それ以外の花はなく、他の家からの献花も途絶えたようだ。その後に黒目川の散歩道を通りながら角上魚類のスーパーを見ながらびっくりドンキーに寄って食事をした。タクシーで花の家へ移動。タクシーの運転手さんはのしかかる税金や年金について呆れつつ笑い飛ばしていた。
花の家に近づくと真っ白に咲く満開の白木蓮が眩しく目立っていた。今日が一番の見頃だと思う。3日前の木曜日に来た時は蕾がまだあったアセビは今日くらいが見頃だと思ったが、すでに枯れ始めていた。庭のヒュウガミズキも満開になり、端にあるスイレンやピンク色の椿も咲いた。玄関前のスロープの木を通りやすいように切る。
家の整理で各地の地図が出てきた。おじいちゃんとおばあちゃんは遠方を初めて旅する時、団体のバスツアーに花小金井駅前のスーパー西友の中にある西武のツアー会社に申し込む。そのバスツアーで見所を探って、次回以降には電車や高速バス・宿を手配していくことが多かった。バスツアー当日は席が決められていない場合はなるべく後ろの方の席に座った。これは一生懸命バスガイドさんが説明してくれている時に写真を撮っているのは申し訳ないからだ。また昔のバスツアーは歌を歌うこともあって他人の前で歌を歌うのは恥ずかしかったのもあるだろう。
そうして後ろの席で地図を広げながらどこを通過しているのか、見所がないかなどを黙ってソワソワと気にしていた姿を覚えている。東北の地図には日記にあった青森の岩木山のほか、鯵ヶ沢や八甲田山なども印がついていた。そういえばおばあちゃんが白神山地や十和田湖の話をしていたことを思い出す。秋田の男鹿半島のあたりでは雨になってしまったようだが、印象に残っていたようだ。まだ青森まで東北新幹線が開通していないどころか、高速道路の東北自動車道すら予定段階の時の話だ。
地図の他にはなんと僅かではああるが日記の続きも出てきた。日記は平成26年(2014年)の8月8日で終わっていた。この年の2月には1日に「宅地ゾウセイはじまり」、7日に「(畑に)ナマコン(コンクリート)が入る」とあり、先祖代々受け継いだ畑の造成によって日記や写真の意欲がなくなったように感じる。この頃、俺が週末 花の家に来たときにおじいちゃんから「カメラのフィルムはどう取り出すなんだっけか」と聞かれて話してるうちにそのままケースを開けて感光させてしまったことに気づいて笑っていたことを思い出す。笑ってはいたし俺も笑っていたが2人とも落ち込んだことを覚えている。それまでは日記やカメラがおじいちゃんの生きる力になっていたようだったので日記やカメラを勧めたものの、それ以来は変な圧力になるのも嫌なので日記を書こうとかフィルムを届けることもやめてしまった。
押し花のために白木蓮や椿などを持ち帰った。帰りは品川で夕食のお弁当を購入。帰宅して押し花を始めた。専用の乾燥させる用紙や電子レンジを使ってみた。まだすぐにはできないが、押し花に適した花ばかりでもないので、なかなか難しそうだ