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自己紹介 高校↗️の担任から「お前はデザインなんか無理だ」という言葉に抗い、いろんな美術校を経由してオルト美術学院(大塚美術学院)で師匠と出会い、東京ビジュアルアーツ↗️ マルチメディアディレクター専攻を経て社会に出れたため、立派にしてくれた担任に感謝している 幼少期と祖父母の思い出 東京の田舎に生まれ、おじいちゃんとした川遊びや虫取りなど一人でできる原始的な遊びが好きだった。祖父母 が数えきれないほど連れて行ってくれた旅と記録が今でも好き

人間関係は他人と自分に線を引くことが、結果的にそれぞれの価値観を尊重でき全体への優しさになると考える。一方で自分自身と向き合いすぎないために、他の人の話を聞いたり考えることは居場所も感じられて嬉しい
家のまえで火を焚いている風景(人物なし)

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年表

幼少期
ひとり遊びや虫取りをして育つ

おじいちゃんと行った虫取りや川遊びをして遊ぶ。川の流れを変えたり祖父母の家での雑草アート、駅で人の流れを見て想像したり、ここをこうすればいいのにと考えていた。

小学校でもゲームなど答えが設定されているものに面白さを感じず、特にクイズは大嫌いで自分で作ることを好んだ。他の人が見ているテレビや本を見ることもあったが、自分も真似したり自分なりの形に変えることをしていた。

幼少期からの記録
私
学生時代
ウェブに触れる

小学2年生の頃、親が買ったSEGAのパソコンDOS/V機「テラドライブ」に触れる。また中古で貰ったNEC98ノート(PC-9801N)にインストールされていた人工知能に関心を持つ。

サイトの変遷
ウェブサイト情報
ウェブサイト情報

高校入学前後でサイトを作り始める。高校三年生で情報デザインに興味を持ち、当時在籍していた正則高校の担任教師にその道に進むことを話すが「お前にはデザインなんか無理だ」と一蹴される。この一言で決意したので担任には感謝している

2003.
美術学校を転々とする

デザインの道に進みお茶の水美術学院に行くも周囲は幼いことから学び続けている学生が多かった。生徒全体の講評で最下位が続いたが通い続けるCOTAに対し、講師二人より笑いながら「君は零細企業の社長だ」と評価をいただく。固定概念で小さい可能性からの芽を見出せない人種に創造性を感じずその場で辞める

2003.
オルト美術学院で師匠と出会う

その後は横浜美術学院さん、湘南美術学院さんなどに体験入学するも教えを乞うということが合わずに入学を断念。デザイン方面への行き場を失っている中でオルト美術学院で上村響先生(師匠)と出会う。師匠は稚拙な私は教えるのに手間がかかるはずだったものの、可能性を見出してくれつきっきりで教えてくれた。

美術大学を目指す中、美大の先輩生徒さんたちとの交流が深まる。当時の情報デザイン分野というのは、教授レベルでは完成されていた反面で生徒間では概念がうまく共有されていない部分も多いように見られたこと。そしてこの頃ウェブサイト作りを独学で始めていて、逆に美大の先輩方を教える側につくことが多かったため専門学校の道を考え始める

2005.03
日本テレビ「バンキシャ」に出演

当時では珍しかった複数地点での同時配信が特集で取り上げられる。取材中に企業(ライブドア)についての意見を求められたので買収に対して批判を込めて話したものの、放映されたのは企業を絶賛する内容に編集されていたらしい。それが原因により匿名掲示板(2ちゃんねる)で炎上していたと聞くが、昼寝していたので分からない

2005.04
東京ビジュアルアーツに在籍

マルチメディアディレクター専攻へ入る。黙々と課題や発表に取り組むも、デッサンの講師の方から「次の発表では自分を壊した方がいい」と指摘をいただく。

そこで講師全員や有識者が評価を下す1年次の中間制作では「恥」をテーマとし、プレゼンでは女児のパンツを頭に被って登場したところ混乱し会場の空気を破壊する

2008
制作会社に勤務

専門学校在学中に会社へ応募し内定をもらいバイトとして働き始めるが、就職する3ヶ月前に「内定の話は知らない」との連絡をもらって急遽就活を再開し、デザイン会社に拾ってもらい入社する

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