鶴見、花月總持寺、鶴見市場、京急鶴見、三ツ池公園
COTA
この場所の訪問記録
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COTAサーティワン アイスクリームでアイスを食べて總持寺のやっている禅カフェ 坐月一葉でお坊さんのお話を聞く。スマホなど新しいものアレルギーなお坊さんだったようで、俺は共感できなかった。欲の話もあったが總持寺自体も昔誘致に乗って金沢の山から鶴見に山を開いたわけで共感できない。言い訳ならそれぞれにある。歩み寄りが少ない。その後おぼんdeごはん、無印良品500 シァル鶴見を巡った。 鶴見はお寺や禅宗(曹洞宗の総持寺)と関わり深く、新しく出来た鶴見駅の駅ビルは和をイメージしている。その駅ビルの5階に「禅カフェ 坐月 一葉(ざげつ いちよう)」がある。ここは地域性を生かした茶屋で、月に数回、お坊さんのお話を聞けるとあって行ってみる事にした。 総持寺の前川単頭兼維那というお坊さん。まずは10分間の座禅。足を地面に付けて背筋を伸ばし、右手の上に左手を重ねて親指を触れ合わせて輪っかをつくる。お腹の下あたりの背中が引っ込むようなイメージで、顎を少し引き、頭は天を向き引っ張られて行くようなイメージで始める。 その後、祖継大智の「大智禅師偈頌」(8つのうちの3つの首)をテキストとして法話。 分外=感覚にならない 幽意=大自然の中で耳栓をしてしまうとそれを感じられない アマゾン奥地の民族「ピダハン」について(左右が無い、見た者しか信じない) 残月=昼の月のこと。くずれた月。 空林=むなしく人が居ない 卜す(ぼくす)=新築の家でのおはらい、手を合わせるなど 幻想が何も無い状態 世の中だいたい幻想。食って出すのが人間。それを座禅で感じられる。ざわめきが邪魔であると感じたり、夕飯を考えてしまったり。ただ、それらは普段は必要な者。座禅をしたときだけ「雑念」になる。それを気づく事がおおきな違い。 法話終了後お茶とお茶請けを頂く時間。お茶は美味しかった。 お坊さんの所へ質問をしに行った人がいた。「人前で話す際に緊張しないためには」。 端で聞いていて抽象的な答えが来ると思いきや「鉄のかたまりを持って歌えば良い」というこれ以上ない具体的なアドバイス。何しろお坊さんの息子さんは歌手らしい。錆びにくい日本刀になるような鉄のかたまり(単三電池3本くらいの大きさ)。「月のクズ」と呼ぶ。癖って言うのは治らないもの。それでいい。修正しなくて良い。挑戦して行くこと。
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COTA總持寺。四十九日とお葬式のやり直し。やり直しというのもおかしいが、実際経緯的にはそうなる。7月に臨海斎場で行った葬式と宗派は同じだったが、この度選んだお墓を持っている総持寺川としては、寺で葬式をやらないと認められないそうなのだ。お葬式・四十九日もとにかく盛大。お坊さんは30人以上いただろうか。しかしそれよりもすごいのが、その数多くのお坊さんさえ小さく見えてしまうくらいの本堂の広さだ。 おじいちゃんは電車で帰るため、鶴見駅まではオレがついて行くこととなった。祖父はSuica(ICカード)を使っているらしい。すごいと思った。京浜東北線の電車に乗って、時間を見たら2時20分になろうかという時間だったので、このままなら川崎で毎時0分と30分に出るバスに乗れると思い、川崎駅で別れた
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おじいちゃん
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