その気持ちのヒントと視点
この場所の訪問記録
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COTA曇実家でおじいちゃんの写真の取り込みをしていると、アルバムの隙間からおばあちゃんに頼まれたであろう買い物のメモが出てきた。会津旅行の写真はおじいちゃんの日記のおかげで結構場所を特定できて嬉しい。大通りでは引越し業者のトラックがたくさん行き交い、東京は桜が満開となった
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COTA曇おばあちゃんの三回忌に向けて位牌を実家に預けた。 実家の猫は写真の匂いが好きなのだろうと思っていたが、おじいちゃんの遺影と位牌からも離れずに座ってずっと嗅いでいた。 毎週末しているおじいちゃんの写真の取り込みは今日は300枚程度。特定や分類に時間がかかるものもある
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COTA
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COTA時が来た。22:50 息を引き取ったと連絡が来た。帰宅して夕ご飯を食べて終わり、冷蔵庫の中にある牛乳とコーヒーを混ぜて作っているいつものカフェオレを片手に席についてしばらくして、廊下でゴタゴタし出して、母に名前を呼ばれた。おじいちゃんが危なそうだと。 車で向かう。大きいバッグにスーツや着替えをねじ込んで、靴は革靴で。環八(環状8号線)を練馬方面に向かい、四面通から青梅街道へ。2013年の3月か4月に、おじいちゃんと両方のおばあちゃんと箱根に行く途中、花小金井に迎えにいったコースと同じなので思い起こされる。 23時前に車で移動中、母の携帯電話に長男より入電。亡くなったことが告げられた。母と妹が泣いていた。明日鎖骨付近から栄養をとる形に変更する予定であることを医師から告げられていたらしい
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COTAおばあちゃんはおじいちゃんの入院する病院へ毎日行っていることになる。熱はわからないが酸素吸入器はついに「1」になったと言う。快方傾向なようでよかった。言葉も少しだけなら話せるようだ。水をのみたいと言ったので先生に確認をしたら了承を得られたので飲ませようとしたら看護師さんに止められてしまったそうだ。明日は飲めるのではないかと言っていた。 今日は母が行って「昨日誰がきたか?」とおじいちゃんにクイズを出したそうだ。一人一人「私は?」「父は?」と聞いて言って一人だけわかったそうだ。その話を夕食時にされて、「一人って誰だったんだ結局」と母に聞くと「COTAだよ」と言われた。意識は飛んでいただろうし、気遣いなのか、金曜日のお見舞いとごちゃごちゃになっているのだろうとは思うけど、嬉しい半面、全員がわからなかったのはそれはそれで辛かったのだろうと悲しくなった。回復を祈るばかりだ。
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おじいちゃん
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おじいちゃん
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