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関連する記録 :
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- 那覇のホテルを出て首里城。首里城近くで客寄せが強かったがタクシーにお願いして那覇空港へ帰ろうとしたところ「海に行こう。見てないなら行かないとダメだ」と言われ何度断っても追加のお金はいらないからなどと言…那覇のホテルを出て首里城。首里城近くで客寄せが強かったがタクシーにお願いして那覇空港へ帰ろうとしたところ「海に行こう。見てないなら行かないとダメだ」と言われ何度断っても追加のお金はいらないからなどと言いだして無理やり40分くらいの新原ビーチへ。搭乗時間もギリギリになり飛行機では具合が悪かった。良かれと思っているのだろうが勝手に決められていくのは大嫌いだ
- 臨海斎場。おじいちゃんとおばあちゃんも今日は駆けつけてくれた。おじいちゃんは相変わらず耳が少し遠く、おばあちゃんは腰がまがってみっともないからとしきりに気にしていた。そういえば腰のこともあってタクシー…臨海斎場。おじいちゃんとおばあちゃんも今日は駆けつけてくれた。おじいちゃんは相変わらず耳が少し遠く、おばあちゃんは腰がまがってみっともないからとしきりに気にしていた。そういえば腰のこともあってタクシーで来てくれたのだが、行きのタクシーはわざわざ小平から高速道路を経由してきたため、帰りより1万以上も多くかかったらしい。 告別式を行った場所からはモーターで動く台に棺が乗せられるが、その台までのみを私含む男で担ぎ運んだ。モーターで動く台は斎場の方一人で展開や走行ができるものだったが、ゆっくりとしたペースで、ホールから火葬場までの間、電気自動車よりも少し低く唸るようなモーター音が怖さというか切なさというか、なんとも言えない感情を生み出した。 本来(民営の火葬場)は収骨後に精進落し(会食)が行われるが、今回の臨海斎場のようにスケジュールの詰まった公営の斎場では火葬中(約1時間半)に食事の時間が設けられている。食べ終わって話も終わった頃、「火葬(?)が終わりましたので、収骨場2番にお越しください」というような自動アナウンスが流れた。 収骨の場処は火葬場のようにエレベーターのような入り口が3〜4台あったが、とにかく非常に寒かった。台には白い骨壷が置かれていた。一旦骨を出す銀の台の上に、遺灰と骨を全て出し、親族で2人づつ2つのグループのローテーションで箸で骨を骨壷に入れていった(一つの骨を二人の箸で持つようにと注意された)。 おじいちゃんとおばあちゃんとはその式後に分かれた。父方の祖母はまた色々と文句を言っている。臨海斎場の料金は区民は3分の1ほどで良いようで、13万ほど、お坊さんが30万ほどと言っていただろうか。 帰宅後はつかれたので寝てしまった。18時半から夕食を食べに近所のインドカレー屋で夕食を食べた
- ぎょうざの満洲 花小金井北口店。おじいちゃんと。12時に花小金井駅前でおじいちゃんと待ち合わせ。
会って開口一番「この前は済まなかったね。」と言われる。オレよりも遙かに、この前救急車で運ばれたことを…ぎょうざの満洲 花小金井北口店。おじいちゃんと。12時に花小金井駅前でおじいちゃんと待ち合わせ。 会って開口一番「この前は済まなかったね。」と言われる。オレよりも遙かに、この前救急車で運ばれたことを恥ずかしく、気にしているようだった。そして、変わったのも片手に持たれた黒い杖だった。でも腰が悪いわけでもないわけで、「使い方がわからないんだよね」と笑って話してた。 途中に八百屋さんで熊本のみかんを書い、おじいちゃんとそのまま中華料理屋「ぎょうざの満州」へ。満州ラーメンと餃子のセットを二人で頼む。ケーキ屋さんによって、おじいちゃんの好きだという「ブルーベリーモンブラン」とおばあちゃんの好きな「ストロベリーショートケーキ」、オレの分の3つのケーキを買って駅前からタクシーで花の家へ。ハキハキとした新人運転士のタクシーでおじいちゃんの家の前につくと、オレはいつものように100円自販機で缶コーヒーを買って家に上がった。iPhoneの古地図アプリや死生観、家族のことなど色々話した
- 花の家。10時前の電車に乗って品川へ。品川で手土産で秋なので栗のお菓子を買って高田馬場まで山手線。高田馬場から西武線で花小金井駅まで。途中、きょうはお寿司が食べれるのかな、新しいiPhone(携帯電話…花の家。10時前の電車に乗って品川へ。品川で手土産で秋なので栗のお菓子を買って高田馬場まで山手線。高田馬場から西武線で花小金井駅まで。途中、きょうはお寿司が食べれるのかな、新しいiPhone(携帯電話)を帰りに予約しようかな、などとぼんやりと考えて駅の改札を降りた。 橋上駅舎の改札をくぐり、北口のいつもの待ち合わせ場所に行くと、祖父母が居なかった。珍しく15分以上早くきたからなかなと思っていたのも束の間、母から電話がかかってきた。なんだろうと思って出てみると、焦った声で「いまおじいちゃんが倒れたみたいなのね。だから今日は行かなくていいって。」 目の前が何も見えなくなった。そして呆然としていると、受話器から母の声が続けて「もしかしたらいま駅前に救急車がいるかも知れないんだけど」と言われ、眼の焦点は駅前の『いなげや』横に止まっていた救急車に焦点があった瞬間、電話を切ってかけ出した。 まもなく発車という様相で、救急隊員が乗り込もうとしている所を制止し、「孫です」と訴えた。するとよく見えなかったが、中からいつものかすれた声で「そう」といったような声が聞こえた。後ろから乗り込み、おばあちゃんが乗っていることに気づく。あとで聞けば、いなげやというスーパーの中で、急に倒れ、救急車を呼んだ後に、(オレの携帯の電話番号を知らないので)母に電話していたらしい。その電話のオレへの折り返しと、救急車が発車するのタイミングがぴったりだったというわけだ。おじいちゃんの顔を見ると、緊張か病気か血の気が少し無いせいか、暗いからか黒っぽい顔だった。でも返事があったので安心した。頭を打ったという。 まもなく確認を済ませ、映画の様なタイミングで救急車が走りだした。昭和病院という総合病院。駅から数分だったが、明らかにおばあちゃんは動揺していた。オレもまた困惑した。車椅子に乗せられ、救急搬送口から診療室へ。いままで病院に通ったこと、服用してる薬、普段のめまいの頻度などを答え、待合室に。そこでじつは8月にも倒れていることを知る。 精密に調べるために、おじいちゃんを車椅子に乗せてレントゲンやスキャンを撮った。ベッドに座ったり立ったりするときのよろめきの光景が胸に刺さる。泣きそうだった。でも平然さを保つために「あぁそうだおじいちゃん。きょう、地震で家具が倒れないための突っ張り棒持ってきたよー」とか話していた。祖父もまた平然そうだったが、恐らくお互いに無理をしていたんだと思う。後で思えば、血が繋がってるんだなぁと思った。 点滴をしている時に腕に怪我をしていることを知った。色々と検査しても、これという原因がわからない。抱え込んだ気持ちのストレスか、好きな農作業のしすぎの疲れか、滑りやすい革靴と、滑るような床で転倒したか。でも、転んだ記憶はないというから貧血か。でも血圧も異常はないし、後で熱を測ったら熱があったから風邪か。とにかくこれという原因がわからない。 さて病院の支払いも終わり、タクシーで駅前へ。実は、待合室で「おじいちゃんは、こうちゃん(オレ)とお寿司が食べれるんだって喜んでたのよ」とおばあちゃん。それを聞いて、「病院にあるコンビニで何かかって帰ろう」という祖母に、「お寿司屋さんの持ち帰りはどうだろう」と提案したのだ。 結果、良かったと思う。おじいちゃんは結局あっさりと完食した。それどころか夕方、オレの持っていったお菓子も2個をペロリと食べてしまったほどだ。 父方の祖父が亡くなる前に言った青森・秋田の様子や、Youtubeという動画サイトの昭和10年頃の動画なんかを見ながら、昔の話、教習所の話などをした。特に今日は昔の話を聞きに行きたかったという思いが強かった。父方の祖父が死んでから、色々聞けないことが心残りであり、母方のおじいちゃんとは幼少は毎週のように旅行に行ったり色々話したが、昔話をしらないからだ。あまり聴きづらかったが戦争の中でも外国人の差別とかの話を聞いてみた。勇気のいることだった。 後半はつかれたのか、とにかくおじいちゃんは眠そうだった。話はたくさんして、そこまで普段と大きくは変わらなかった。右目の目元(鼻)の傷か何かの黒い部分が気になったり、何よりよろめく姿が気がかりだが、19時を前に帰宅することにした。 新宿で「そういえば行きに携帯買おうとか思ってたな」と思いつつ、気が全く進まず、ぼーっとそのまま帰った。
- 瀬戸大橋、高松駅、高松築港駅、ことでん 琴電琴平駅、セブンイレブン こんぴら店、しょうゆ豆本舗×浪花堂餅店。琴電琴平駅前に戻りあらかじめ手配していたうどんタクシーに乗車。客の好みを聞きながらタクシーの…瀬戸大橋、高松駅、高松築港駅、ことでん 琴電琴平駅、セブンイレブン こんぴら店、しょうゆ豆本舗×浪花堂餅店。琴電琴平駅前に戻りあらかじめ手配していたうどんタクシーに乗車。客の好みを聞きながらタクシーの無線を駆使して複雑な開店状況や混雑情報を他の乗務員と情報交換しながら進む。うどんの原料の小麦畑に植えられたひまわり畑や、まんのう町の満濃池にもよってくれた。最初に寄った手打ちうどんのやまうちさんのうどんに特に感動した。「まだ食べられる?」と気にかけてくれつつ、最終的には時間を大幅にオーバーしながらも4店舗に寄ってくれた。 琴平駅前に戻ったら金毘羅宮に上る。暑くてつらい。麓に戻ってお店でドクターフィッシュで角質を落とす。夜は高松港・北浜や高松城へ。北浜のインダストリアルな倉庫カフェumieが工場をそのままカフェにしているようで、下町の工場育ちには個人的な好みだった。高松城ではGOKANという展示をやっていて綺麗だった
- 台湾桃園国際空港 すごい熱気。入国審査前に5日プランのSIMカードを購入。入国審査はカメラでの撮影と、両手人差し指の指紋を取る。ガイドの方と会った。
国立故宮博物院 (國立故宮博物院)曇り空。リュッ…台湾桃園国際空港 すごい熱気。入国審査前に5日プランのSIMカードを購入。入国審査はカメラでの撮影と、両手人差し指の指紋を取る。ガイドの方と会った。 国立故宮博物院 (國立故宮博物院)曇り空。リュックサックは入場できない説明がガイドからあった。肩掛けはいいらしい。暗いエリアがあり、スリが多いとのこと。いちばん有名な「白菜」と「角煮」の展示は秋まで休止中らしい。皿の中に龍を上から見た絵柄が彫られ、その足に龍の体が巻きついている飾り用の食器?が印象的だった。指が5本の龍は皇帝 4本の龍は貴族 3本の龍は庶民(台湾のみか中国かは不明)。中身が広く歩き疲れた。 忠烈祠 交代式の時間のみ、帽子を脱ぐように徹底されていた他は、写真なども自由。 故宮博物院の前後、バスでは台湾人のガイドさんが「最近中国人が減った。いいこと。日本人が増えた。中国人、うるさい。」とはっきり言ったことに驚いた。ガイドさんのLINEの着信音がよくなっていた。運転手はおとなしそうなおじさん。運転は荒いが台湾的には大人しいのか周囲のタクシーはもっと荒く、ガイドさんが「揺れるから」と注意する場面もあった。 茶楽でお茶セミナーという名の売り込み。阿里山のお茶、高山茶、烏龍茶を頂く。茶菓子は手で食べる。 鼎泰豊 小籠包・海老餃子・玉子炒飯、いずれも油が美味しさを強めている。前知識で知っていたが、さすがは油を専門にしたお店といったところか。酸辣湯(サンラータン)は酸っぱさがすごく強い。 食事後に台湾かき氷。マンゴー。今年は台風の影響で果物が不作だったらしい。かき氷自体も昔はかなり安かったようだが、今や現地の人にとってはかなり高い食べ物に(もちろんいろいろと乗っかっているので量も中身も昔とは違うだろうが)。大衆向けのご飯屋さんや夜店の一食分以上の値段。 北海道から来た家族、広島から来た親子と一緒だったが、北海道のお母さまがマンゴー嫌いなため「イチゴ」を選んでいた。車での途中でマンゴーとイチゴどちらを選ぶかをガイドさんから言われて、そのお母様が頑なにマンゴーを拒否り、ガイドは「イチゴはまずい!」と言い切るやり取りが面白かった。お母様も意地になったのか、食べた後のバスの中でガイドさんから味を聞かれて「イチゴの方が美味しかった」と譲らず、ガイドも「イチゴは美味しくない」と引かなかった。冗談含めてよく分かるガイドさんでよかった。 台北101は101階建て。到着前からかなり疲れていた。到着前から「登るか登らないかは自由」と何度か言っていたが、その意味は着いてわかった。待ち時間が非常に長い。「中国人」(地下一階)と「それ以外」(5階)にわかれているようなのだが、地下1階は見ていないが、5階はとにかく混んでいた。1時間待ちくらい。多分ほとんど日本人。ここで再びガイドさんから「登りますか?」と聞かれたが、さすがに、みんないいと断った。これに誰かが行くということは、全員を待たせてしまうかもしれないからだ。 台北 Regent TAIPEI ホテルは綺麗。接客も丁寧。鍵は電子式ではなく、大きな重い鍵(デザインはかっこいい)。バスは全て同じ間取りだが、シャワー室はガラスで区切られ、トイレも奥まった場所にあり、バスタブにもシャワーが付いていた(バスタブの周囲に排水口はない)。水道水は飲めないため水のペットボトルが計4本。 テレビは韓国のアニメ1つを除いて、ほとんど日本のアニメ。他、バラエティなど。チャンネル数が多すぎて、選ぶのが面倒であまり見ていない。もちろん日本のNHKもそのまま見れる
この物事に触れていた時
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COTAお彼岸のお墓参りで小平駅からお墓へ。昨日から急に夏日の暑さ。お墓には先月の花が残っていたが他の家の献花は途絶えてしまった。 その後花の家へ。白木蓮とヒュウガミズキが満開でスイセンやピンクの椿も咲いた。家の整理で地図と僅かだがおじいちゃんの日記の続きが出てきた。押し花用に花を摘んだ
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COTA紅白やピンクの梅にはムクドリや夫婦のメジロ、オナガやヒヨドリが梅の花を啄みに来ていて、あまりにも多くの鳥たちで一時はお祭りのような大合唱だった。花の家の中でも縁側や居間の床に紅白の梅の色が床に映り込むこの季節が大好きだ
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COTA取り壊しが決まっている新宿アルタに寄って花小金井へ。サイゼリヤで昼食を食べ、花の家に移動すると梅の木に夫婦のキジバトが止まっていた。夕方からおじいちゃんの誕生日前夜をキャンドルで祝う。東久留米駅前に移動してジョナサンで食事をしてから駅前の東横インに宿泊
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