なぜ今の外国人は日本に執着するのか(視覚思考)
キャッシュレス推進派の見落とし
現金派か?カード派か?そう言った考えの中でクレジットカード決済やICカードがわかりづらいという人に遭遇することがあります。
お札や硬貨などの現金・貨幣はそのやり取りが目で見てよくわかります。お店側もカードでは桁数を間違えて大きな事故を起こしかねません。もし現場が全て自動化されていても、設計者が人類である限りは起こりうる問題です。
損得で、どのやり方が効率的かという話で言えばカード決済は現金よりも適します。しかしどちらが感触や感覚・目で見てわかるかという話になると、変わってくるでしょう。
カードがいいのだから進めるべきだと正義心を露わにする人がいます。現金派は理解が足りない、知れば絶対に得なのだから勉強させるべきだと。この議論についても比較的視覚思考者の声は無能というレッテルを貼られてかき消されがちです。そもそもその視点でカードに移行しづらいわけではない。「わかりづらい」という部分があるわけです。それを言語思考的な知識の有無に置き換えられても快くは飲み込めないでしょう。
絵は題名から読みますか。絵で感じ取りますか
美術館に行くと絵など作品には題名や説明(キャプション)が文字で書かれています。この文字と絵の関係から、その人が何を軸に情報を見ているかがわかります。
中くらいの規模以上の美術館では音声ガイダンスもされています。この説明を元に情報を得た方がわかりやすいという人もいるでしょう。全体を構成する展示案内や館内案内図など図で情報を見ると整理できたりコンセプトが伝わるという人もいるでしょう。
美術館は絵画という視覚情報を見せる場所だからかさまざまな配慮がされていますが、これらは日本の駅構内でも文字・音声・図などで表す工夫がされています。
受け取る側が絵や図、音声、文字のどれがわかりやすいかそれぞれです。しかし全員がいずれかに当てはまるのではなく、人によって、その状況によってその割合は異なります。
そして受け取るのではなく伝えるときも、人や場面によって文字、音声、音楽、絵、図など何を使うのが伝えやすいかはそれぞれです。
ここまでは場面によって様々であるという話でしたが、場面によっては事故を防げたり新たな発見ができる場合があります。
目で見ることが事故を防ぎ新たな発見をする
今回公開した動画「もう、言葉で落ち込まない 。完璧と正論は不安が生む幻想」では、2024年の夏に東京・武蔵野を走る西武鉄道で行われた改挟ラリーという催しから始まります。西武池袋線の4つの駅(椎名町・中村橋・ひばりヶ丘・清瀬)が開業100年を迎えることを記念して、かつて客が購入した乗車試験(切符)を駅員の手でパンチ(入鋏)していたことを再現するものです。
地方に限らず近年は東京近郊でも駅を遠隔で管理して無人化を進めています。これから先はこのような催しもやりづらい状況になるだろうと思います。そんな背景もあって、行われたのかも知れません。
自動改札の歴史、問題解決の発見まで
自動改札の歴史を見ると、関西が先に導入しています。東京は乗り入れが多すぎて経路も複雑であり、導入に遅れをとっていました。しかし東京では1960年代になると人口が爆発的に伸び、駅の中は改札から出入りする人で大渋滞が日々発生。あまりの混雑にホームから落下する人、押し合って靴がどこかへ消えてしまう人など混乱していました。
その原因は駅員による改挟と集札(乗車券の確認)・定期券の確認でした。確認は数秒で終わるものの、それでも時間がかかり問題がある乗客との対応で改札が使えなくなると全体の流れに大きく支障しました。
そんな背景から自動改札の導入が決まります。
自動切符売り場とは異なる事情
話が膨れてしまいますが、切符の販売については先に明治44年から「自働入場券販売函」が設置され、昭和30年代には電気式の「自動切符券売機」が設置されていますが、これらは例えば10円区間専用の機械、20円区間専用の機械など、金額が決まったものを販売する形でした。海外でもいまだに自動改札が導入されていても一定料金という形は珍しくありません。
ところが自動改札となるとそうはいきません。しかも日本の東京近郊では経路が何万通りとある上に、他社の路線との調整や段階的以降のこともあり乗車券(切符)と定期券2つのサイズはそのままに、また処理の効率化や通過時に少しでも滞留を防ぐため向きが一定の方向で出てくるように工夫が必要となりました。
その中でソフトウェアでも膨大ですが機械的なハードウェアでは思わぬ部分で開発が困難を迎えます。それが小さな切符を傾けて入れると向きが処理中に問題を生じさせるということ。2種類以上の大きさの切符を処理しなければならない・通過速度を早めるために同じ挿入口に入れさせないといけないという宿命です。
その解決のヒントとなったのが川に流れてきた切符だったというわけです。こちらの詳細は動画「もう、言葉で落ち込まない 。完璧と正論は不安が生む幻想」にて。
2009年 USエアウェイズのハドソン川の不時着水
同じ乗り物でも航空機ではニューヨーク発のUSエアウェイズ1549便が離陸直後に鳥の群れと衝突し、両エンジンを喪失する事態が発生。機長のチェスリー・サレンバーガー(サリー機長)は、言語的なチェックリストや管制塔の指示ではなく、瞬時に外の状況を目視し、ハドソン川への不時着を決断します。
言葉で考える時間がない状況で、視覚的情報をもとに「どこに着水すれば安全か」を判断し、全員の命が救われました。視覚的な認知と直感的な判断が、事故の回避に決定的な役割を果たした例です。
医療でも活用される視覚思考
日本の鉄道業界の「指差し確認」は言葉だけで「確認しました」と報告するより、目で見て物理的に指をさしながら確認するほうがエラーを大幅に減らすことがわかっています。
実験によると、視覚+指差し+音声の組み合わせで確認ミスが約85%減少。 「思い込み」によるミスを防いでいると言われます。 視覚的に確認することで、単なる言語的な確認よりも圧倒的に精度が上がるわけです。
また医療現場では手術ミス防止にカラーコーディングと言って麻酔薬の種類を色別にすることで、誤投与のリスクを低減しています。
言語的な思考(論文やマニュアルによる判断)よりも、「目で見て直感的に判断する」視覚思考のほうが事故を防げるケースは多いと言えます。
理論とは感覚の終わりにある配列にすぎない
そもそも全ての言語的な理論というのは、人類の視覚思考をはじめとする直感を集約させて結びつけたものにすぎないと思っています。理論というのはあらゆる人を動かすマニュアルや教科書など確かな枠組みを作ってくれます。
言語思考の人にとっても大切な視覚思考の存在とは?たいせつな続きを見るためにはSNSでの確認が必要です
なぜ外国人は日本に来たがるのか
アメリカでは国外旅行先に日本が一位になるなど、最近の外国人旅行客は異常とも言えるほど日本に執着しています。昔から一定の評価張ったものの、大衆の意見としてはかつて日本が馬鹿にされていたことが信じられない状況です。
村上隆の言うコロナによって広まった「日本の文脈」
これらの現象を日本人として最も価格の高いアーティストという村上隆は「2020年ごろの新型コロナウィルスによる感染爆発(パンデミック)で引きこもって日本のアニメや漫画が浸透した結果、日本の文脈が理解されて興味を持ち始めた」ことが原因と語っています。私もその点は本当にその通りだと思っています。
まず漫画の見方、特徴ある二次元における遠近感の表現方法は多くの日本人にとっては読み取れて当たり前です。しかし西洋人からすればわからない。東洋人が「現代アート」と言って西洋が持ち上げていたものが理解できなかったのと対照的です。
ところがコロナでの隔離生活の中で日本の作品に向き合ってみると、実はぐちゃぐちゃで歪に見えた表現は洗練された文脈が出来上がっていることに気づく。すると日本庭園から建築、文化、食事まで、かつて日本人が西洋を絶賛していたように魅了されてしまうと。
「それだけじゃない」インバンド客急増の背景
ただ私はそこに加えて、西洋の行きすぎた効率化があるのではないかと感じるわけです。
私自身もある程度デザインを学んでいて、デザインというのはどんな人でも的確な表現ができるようにマニュアルのようなものが存在します。これは西洋医学でもそうです。ある一定までは西洋の方が完璧と言っていいくらい言語化されているわけです。
しかし「一定」の質が社会に担保されたとき、人は本質的な部分の意味を問い始めます。本来ぐちゃぐちゃだったから国内外で全ての標識や言語を同じ形に揃えて社会が効率的になっていくほど、今度はデザインの先にある各地や人それぞれのキャラクター性など、その場所らしさを求めるようになる。
西洋医学でも短期的には「胃が痛いのはこの薬」と処方されて治るけれど、副作用や長期的な服薬による悪い影響については、将来さらに別の薬や手術で対処する。東洋医学は人によるムラがあるけれど、患者それぞれの背景を踏まえたり長期的な視点に立っている場合もあります。
移民の受け入れで見えた「尊重」の幻想
社会構造も効率化をしていく中で歪みが生じてくる。つまり本来は移民を受け入れたりして世界中が一つになることを良しとして目指してきた。だけど、実際に世界を一つにすることをやってみると価値観の違いなどによって歪みが生まれ、その場所の文化さえも破壊されてアイデンティティを失って穏やかではない。「自分らしさ」「この場所に生まれた意味」は想像以上に大きかったりする。
厳しい言い方をしてしまえば、平等や「他文化の尊重」など絵空事にすぎなかったわけです。考えてみれば「平等」と言うものの考え方も民族によってそれぞれ違う中での尊重というのは、短期的には矛盾していて、相当な時間を向き合わない限りは無理なものです。これはお互いが苦しむ結果となりつつあります。
2025年はアメリカでトランプ大統領がアメリカを取り戻すという姿勢のもとで、メキシコなどの移民を国に返す政策を強行しようとしています。元々は移民の国、かつては日本も魅了された自由の国であったアメリカでさえ、です。
そんな西洋・欧米諸国から見て、文化を保つ日本は「故郷のよう」に感じるのでしょう。実際そういったことを発言しているインフルエンサーの映像をいくつか見たことがあります。
言語化に染まりきっていないから保たれた日本
日本が今の形を保てているのは、言語化による暴走を食い止められていたという面もあると思います。これは日本が特別なのではなく、かつては海外にもあったものです。しかし社会が成熟しても進歩主義を重ねていく中で、かき消されていきました。効率化の末に、です。
海外に注目され、アニメや漫画などの創作物が次々と生まれる土壌。言葉一つとっても「日本語」というのは複雑で感覚的とされます。そう言った言語でも的確に肌感を伝え合いやすい環境があるのかもしれません。もしかしたら先人たちはこのような移民の流れを過去に経験していて、一瞬で向きが変わらないようにあえて複雑にしたのではないかとさえ思えてしまいます。
日本には目で見たものを大切にする、言葉に頼りすぎない。そんな背景があるのだろうと思っています。
観光客や移住者が増えた今、日本が日本であることが揺らぎつつあります。言語で封じられて仕舞えばなかなか争うことも難しい。言語以外の表現を大切にしていきたい。それは効率は悪いかもしれないけど、きっと私たちの幸せに繋がるものだから。
言葉に頼らないYoutubeチャンネルを始めました
言葉に頼らない世界をつくっています
お礼
撮影にあたって承諾の上で配慮していただいた西武鉄道・清瀬駅の駅員さん、弘南鉄道の乗務員さんにお礼申し上げます
資料:さまざまな伝達思考の例
思考タイプ | 特徴 | 生かされる分野 |
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言語思考(Verbal) | 言葉を使って考える | 哲学、法律、ライター、教育 |
視覚思考(Visual) | 画像や映像で考える | 建築、デザイン、アート、科学 |
身体思考(Kinesthetic) | 動きや体験から考える | スポーツ、ダンス、職人技 |
聴覚思考(Auditory) | 音やリズムで考える | 音楽、語学、スピーチ |
感情思考(Emotional) | 気持ちや直感を重視 | 心理学、カウンセリング、演劇 |
直感思考(Intuitive) | 瞬間的なひらめきを活用 | 創造的な仕事、経営、戦略 |