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弔辞
2月12日、陽の光が差し込む中、静かで暖かい旅立ちでした。
あなたは他人の人生に影響を及ぼす言葉を口にしません。他人の人生は他人のものと踏み込みませんでした。シングルマザーで早くにお兄さんを亡くし、人一倍自分と向き合ってきたからでしょう。気づけばその姿勢に多くを学んでいました。
人という単位で良い悪いを見るのではなく、誰に対しても好きな部分と嫌いな部分がある。それは自分を持ってるからこそできることですが、なかなか理解されなくて変わった人と言われることもありましたね。
誰かのためには自分の意見を押し殺す優しさがありました。その裏で信じ難いほどの強さがありました。全ての人を受け入れました。私が中学生の頃、心無い言葉を浴びせられ泣き崩れた姿を目にしました。それを見て私が相手に怒ったことがありました。そんな時にいってくれたことがあります。「いいんだよ。負けて勝つの」と。そうしてどんな相手に対しても恨みや妬みの言葉を聞いたことはありませんでした。
他人から分かったような正義心を向けられることを嫌い、一方で誰かに「こうしたほうがいい」という考えを強いることもありませんでした。”常識”は時代で変わり、環境によって異なる。他人に期待をすれば相手が苦しみ自分も裏切られることを痛いほど知っていたからでしょう。他人を自分の中にある正解で答え合わせをするのではない。失敗が大切で、人というのは完璧じゃないから愛おしいのだと。そうした考えから「生きてくことは人に笑われるくらいがちょうどいい」と口にしていました。
人と人とが衝突することを「みっともない」とし、自分が折れてでも包み込みました。そうすることで息苦しい時間を解き放ち、世界を笑顔で明るく照らしました。
そんな考え方を表すわかりやすい口癖がありました。「しょうがないじゃない」と。
最後の入院前の一月、握ろうとした手を強く叩かれたのには驚きました。私が笑って「大丈夫?」と尋ねるときは私の心が駄目な時だということまで知っていたんですね。おじいちゃんが亡くなったときも「弱々しい姿が大嫌い」と奮い立たせてくれたことが思い出されます。誰よりも私の心の奥を見守ってくれた最高の理解者でした。
旅立つ3日前、話しづらくなってからも普段ならお互い手を振って別れるところを、今までを報いるかのように拍手で見送られた姿は一生忘れることができません。
四十九日を迎える4月1日、東京は今年も桜に包まれるでしょう。花が大好きなおじいちゃんがカメラを手にして待っているはずです。こんど会った時はとっておきの土産話ができるように、私はいろんな景色を見てからそちらに向かうことにします。
別れの場でも「しんみりとした時間は芝居をしてるみたいで苦しくて嫌なのね」と言っていたから、明るい心で見送りたいと思います。
気をつけていってらっしゃい
令和五年二月十八日 COTA (こた)
合掌、そしておばあちゃんに拍手