盛岡・滝沢・仙北・紫波郡
COTA
この場所の訪問記録
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COTA宮古 浄土ヶ浜の遊覧船に乗る。三日ぶりに運航されたらしい。ガイドさん曰く過去最大に揺れたそうだ。浄土ヶ浜レストハウスで美味しい海鮮丼。宮古へバスで戻る でかい防潮堤がそびえ立っていた。海が全く見えなくなるので住民の要望で一部を透明なガラスで見えるようにする予定らしいが。それにしてもここまで圧迫感があるとは思わなかった。三陸鉄道で移動し田老 元の場所から移動した地盤 津波で被災した震災遺構のホテル。雨が降っていた。岩泉町 龍泉洞 念願の鮎の塩焼き。盛岡 炭火焼肉 楽へ。
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COTA東北新幹線で盛岡、盛岡から10分でロッカーを探して高速バスに乗り換えて弘前。9:10新幹線到着、9:20バス発車。弘前行きのバス「ヨーデル号」の切符を買いにJRバスセンターへ。バスは大変混雑しており、補助席は使わない程度だがほぼ満席。バスは古く、お尻を振っているような動きをするので酔いそうになる。弘前 土手町巡回バス(100円バス)で、猫のいるカフェ「ホートン」に向かうもまだ開店前。駅前に歩いて戻りお土産やさんを見て回った。カフェ・ホートンの前では看板猫がなぜか外にいた。外国人観光客が電車に乗り遅れてホームで大声で話していた。隣にリゾートしらかみ・橅 編成が到着。間も無く発車した。五能線 深浦行き3、4号車は鯵ヶ沢止まり。五所川原 市場内食堂というのでサイズがよくわからなかったが、食堂に小さな魚屋さんが二つ、最小限あるような感じだった。元々は大きい市馬だったのかもしれない。周囲には空き地が沢山あった。そのうちひとつ、睦屋という鮭・筋子を扱うお店の筋子は美味しかった。果物屋さん(バナナ)とパチンコ屋さんくらいしかやっていなかった。青森は果物屋さんが多い。リンゴ農園が多くフルーツへの関心が高いのだろうか。昔「くまげら」という編成に乗ったが、今回は「青池」。「橅」が最新編成で乗りたかったが時間は合わなかった。風が強く涼しくて気持ちいい。弘前に戻りタクシーで急ぎホートンへ。店員は近所のおばちゃんらしき人とずっと会話をしていた。猫は自由。ケーキも完全手作りのようだった。行きはお尻を振るような動きをしていたが、帰りはブレーキかシフトチェンジの時に揺れた。始発の弘前バスターミナルから乗ったが大行列だった。ギリギリ乗り切った感じだ。ホテルメトロポリタン盛岡ニューウィング, 盛岡市 盛岡駅の売店で買ったいくら、お酒などを飲む
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COTA南三陸ホテル観洋さんの自転車を借りて津波の被害があった南三陸町役場 防災対策庁舎付近へ。瓦礫は片付けられていたものの、荒廃して何もない。破壊された堤防など。残酷な天使のテーゼの朝6時の時報が流れた。大槌付近から大船渡にかけて語り部の人がとても温かい人だった。京都から三陸鉄道で田老に向かい、田老でも語り部の方からのお話を聞き盛岡から帰った
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COTA東北新幹線で盛岡を目指す。東日本大震災で盛岡までは4月23日まで運休していたが徐行運転で再開。ただほぼ誰も乗っていないと言ってもいいくらいに人が少ない。盛岡からは山田線で宮古へ。宮古駅を降りると津波での被災した風景以上に生臭い香りと砂埃がひどかった。これはネットやテレビではわからない感覚だ。宮古の港の前では車どころか船まで散乱している。港を歩いていると一人の男の子が木の棒を持って俯いて歩いていた。人それぞれに何があったかはわからないが、想像しながら思いを馳せた。浄土ヶ浜には立ち入れなかったが、上から見る限りは想像よりも綺麗だった。その後はバスが空いていたのでバスに乗って宮古に戻ったが、何もなくなった場所を時間通りに動いているバスが不思議に感じた。宮古から三陸鉄道で田老を見てきた。街は本当に何もなくなっていた。田老から宮古に戻ると三陸鉄道の運転手さんや駅員さんから「ありがとう。」と幾度となく深々とお辞儀をされた。出発前、被災地に行くのは何事だと周囲にひどく言われた。しかし運転手だけでなく他にも観光案内所で感謝してもらえたり誰もいない新幹線、ガラガラの焼肉屋さんを見て、やはり観光とは切っても切れない場所であり行ったことは良かったと思う。夜にいつも盛岡に来た時は行っている焼肉屋さんへ。ただでさえ美味しいお店だが、何倍も美味しく感じた
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