(No title)
COTA
COTA
COTAの手記
西武新宿線の車内放送「国内有数の高麗・曼珠沙華が見頃を迎えております。一部のレッドアロー号が高麗駅に臨時停車しております。」とあった。
東京病院 行ったらおじいちゃんは寝ていた。握手をしながらずっと水森かおりさんの音楽を聞かせていた。音楽を聴いたあと、しばらくして寝てしまった。そのためその後、長男と二階の売店に行ってアイスコーヒーを飲んだ。もどったあとはより静かに寝ていた。聴いたら身体を拭いてもらっていたそうだ。パンダのぬいぐるみは病院の人に気に入られたとおばあちゃん。トイレを取り替えてくれたヘルパーの二人組のひとも話題にしていたそうだ。管は痛くはないという。
病院からおじいちゃんの家に帰ってからおばあちゃんと終電間際までずっと話していた。オレは母親のように介護がうまいわけでもないから、おばあちゃんに対して唯一できる助けが変わらぬ雑談をすることだと思っていた。
いじめから精神の話をしているうちにおばあちゃんが語り始めた。
まだおじいちゃんが20歳だかの若い頃、おじいちゃんの弟が刃物振り回したという話。その奥さんが助けを求めに花の家に来たこともあったそうだ。原因は相続のことだったと言う。そう言う経緯もあってか、おじいちゃんに割り当てられた土地は少なかった。
他に似たような人も見たことがないくらいにおじいちゃんは低姿勢・謙虚で怒ると言うことが全くない。なので、そう言う兄弟間のことで、何かを見てしまったのではないかと自分は思った。また、だから(今回のように倒れても)親類に会いたくないのではないかというのはおばあちゃんの考え。殺人事件のようなものがあったとき、いまなら被害者やそれを見てしまった人がPTSDと診断されたり、その後に気がおかしくなって迷惑をかけたりするが、おじいちゃんは戦争などの極度の環境の経験もして人よりも心が強く、またその後も自分でカメラや旅行を積極的に行って自分のなかで処理しきっていたから、おとなしくて怒らない聖人のような人になったのだろうというのが結論だ。なにせそういう戦争などの「コアな部分」については聞いてもとぼけたり、少しの笑顔を返すだけで何も教えてくれなかった。
そのほか、おじいちゃんは従姉妹を旅行に連れて行くのが嫌がった。例えば川とか山とかでこのラインまでしか行っちゃダメだよというのをオレだときっちり守ったが、従兄弟はどんどん先に行っちゃうのがおじいちゃんとしては嫌だったそうだ。(オレは逆に約束を律儀に守りすぎて、過去にデパートで笑っちゃうようなことが起きたらしいが、それはすごすぎたことらしく、いまだに教えてもらっていない)
ただそれもオレの考えとしては普通の人以上にコントロールできない人への恐怖みたいなものがあったのではないかと思った。
そのほかの話として、夜行バスで行った秋田は雷がなってひどかった。白神山地や八甲田や男鹿に行ったという。駅前できりたんぽを食べたらしい(オレも食べた同じ店のようだ・数年前に全焼)
おじいちゃんの辛かったのではないか、と言う想像の話をしているとき、おばあちゃんはほんの少しだけ涙を溜めていたように見えた。「そういえば」といつものように話をし始めたおばあちゃんが続けた言葉は、泣いてしまったと言う珍しい話だった。
畑や花をいじるとき、特に雑草取りをするとき、昔は分けるようなこともなかったそうだが、いつしか「おじいちゃんのエリア」「おばあちゃんのエリア」と無意識に分けてやるようになったと言う。
雑草というのは放っておくとすぐに生えてしまう。おじいちゃんが入院した後も、外で雑草を抜いていてもおじいちゃんの領域は手をつけなかったそうだ。しかし、先日ふと顔を見上げておじいちゃんのエリアを見てみると、外見上は遠くから見てもわからないがちゃんと雑草が抜かれていたが、見えない部分や端っこには雑草が残ったままだったと言う。
それが目に入って来て、そのとき、おじいちゃんはもう結構前から弱っていたんだなと思った。そのことに気づくことができて、涙が止まらなくなったという。
予備校時代から最低1ヶ月に一回は花の家に行っていたが、昔から「なんでそんなに頻繁に孫が家に来るのか」といろんな人から言われているそうだが、自分にとって無意識としかいえない(周囲の孫は呼んでも来ないらしい)。
親という存在は近すぎて、今より大変だった子供の頃、農家で裕福とはいえないのに旅行に連れて言ってくれたことが、とにかく嬉しかったことが理由としか思えない。安い時期とはいえ、下田の旅館に11回連れて行ってくれた事もあったが、そういう話は周囲で聞かない。もっと裕福な家でもだ。
「孫が欲しいのはいいんだけど、選べないし、選ばれるかどうだかね?」とおばあちゃん。オレとおじいちゃんはたまたま合っていたからであって、お金も貯めなきゃしょうがないし、「おじいちゃん」だなんて言ってくれる保証なんかないんだから。その通りだと笑い合った。
お墓を一緒にしたかった本当の理由。おじいちゃんが以前、俺の家でお墓を建てた後くらいに「自分も中村家のお墓に入りたい」と話していたということを聞いた。当然、仮にもしそうなると全員の同意を取り付けないといけないし、まずもって不可能だ。
そんなことを言い出したのはてっきり、お墓を作るという金銭的なことなどを言っているのかのだと思っていた。ただおばあちゃんはその理由を聞いていたようで、そうではなかったことを知った。
それは一緒にしたら、「こうちゃんが線香をあげに来てくれるから」だったらしい。おじいちゃんが倒れて初めて目がうるっと来た。
「自分のためには来てくれないかもしれないけど、COTAの家なら守らないといけないという責務があるから来てくれるんじゃないか」そんなことまで謙虚なのだなと感じた。
焼き団子1本40円。すごく美味しい。ずんだも美味しい。左端は「ぶどう」。これは見かけ通り美味しくなかった。
病院に奥さんが毎日来ることは珍しくないようだが、毎日代わる代わる親類が来るおじいちゃんは、病院もその熱意に驚いているようで、すごく丁寧に接し、今後の施設などを考えてくれている。
病院収容のためには痰の吸引が日に8回以上していることが条件で、おじいちゃんはちょうど8回でギリギリ入院できるらしい。それがいいかどうかはわからないが、金銭的には助かるはずだ。
自分の最期は絶対こんな暖かく人に囲まれないだろうと思いながら、だからこそ子供への愛情、自分の孫へ与えることができたであろう愛情、そのできる限りを今居るおじいちゃんとおばあちゃんに向けようと思っている。
心を背けると、死に際に待って居るのは後悔しかないことを、自分が育てた愛情に囲まれて居る祖父を通して学んでいる。