宮古・浄土ヶ浜・茂市
COTA
この場所の訪問記録
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COTA宮古 浄土ヶ浜の遊覧船に乗る。三日ぶりに運航されたらしい。ガイドさん曰く過去最大に揺れたそうだ。浄土ヶ浜レストハウスで美味しい海鮮丼。宮古へバスで戻る でかい防潮堤がそびえ立っていた。海が全く見えなくなるので住民の要望で一部を透明なガラスで見えるようにする予定らしいが。それにしてもここまで圧迫感があるとは思わなかった。三陸鉄道で移動し田老 元の場所から移動した地盤 津波で被災した震災遺構のホテル。雨が降っていた。岩泉町 龍泉洞 念願の鮎の塩焼き。盛岡 炭火焼肉 楽へ。
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COTA南三陸ホテル観洋さんの自転車を借りて津波の被害があった南三陸町役場 防災対策庁舎付近へ。瓦礫は片付けられていたものの、荒廃して何もない。破壊された堤防など。残酷な天使のテーゼの朝6時の時報が流れた。大槌付近から大船渡にかけて語り部の人がとても温かい人だった。京都から三陸鉄道で田老に向かい、田老でも語り部の方からのお話を聞き盛岡から帰った
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COTA東北新幹線で盛岡を目指す。東日本大震災で盛岡までは4月23日まで運休していたが徐行運転で再開。ただほぼ誰も乗っていないと言ってもいいくらいに人が少ない。盛岡からは山田線で宮古へ。宮古駅を降りると津波での被災した風景以上に生臭い香りと砂埃がひどかった。これはネットやテレビではわからない感覚だ。宮古の港の前では車どころか船まで散乱している。港を歩いていると一人の男の子が木の棒を持って俯いて歩いていた。人それぞれに何があったかはわからないが、想像しながら思いを馳せた。浄土ヶ浜には立ち入れなかったが、上から見る限りは想像よりも綺麗だった。その後はバスが空いていたのでバスに乗って宮古に戻ったが、何もなくなった場所を時間通りに動いているバスが不思議に感じた。宮古から三陸鉄道で田老を見てきた。街は本当に何もなくなっていた。田老から宮古に戻ると三陸鉄道の運転手さんや駅員さんから「ありがとう。」と幾度となく深々とお辞儀をされた。出発前、被災地に行くのは何事だと周囲にひどく言われた。しかし運転手だけでなく他にも観光案内所で感謝してもらえたり誰もいない新幹線、ガラガラの焼肉屋さんを見て、やはり観光とは切っても切れない場所であり行ったことは良かったと思う。夜にいつも盛岡に来た時は行っている焼肉屋さんへ。ただでさえ美味しいお店だが、何倍も美味しく感じた
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COTAJR東北バスで岩泉へ。バスから見える桜の景色がとても綺麗だった。帰りのバスが17時とアナウンスしていたので龍泉洞をでてからゆっくりして17時にバス停に行くと終バスは16時だったらしい。タクシー会社に電話しても16時で営業終了。観光案内所の人に駅まで徒歩ででの行き方を聞くと、ちょうど通りかかった車から出てきた人が連れて行ってくれるという。なんとその人は岩泉町の副町長さんだという。降りる間際に燃料代としてお金を渡そうとしたところ「お金はいらないから、駅の少し手前で下ろすので商店街で買いものして行って欲しい」とのこと。素敵だなと思って商店街の陶芸品などを売っているお店に入ると、そこでは奥から職人さんが出てきて岩泉線について本まで出してくれてたくさん話してくれた。さらに家の蔵まで見せてくれた。観光用ではなく本当に家のものがたくさんある蔵だった。その流れがとても綺麗で素朴な風景と相まって感動した。その後は岩泉線と山田線を乗り継いで盛岡で宿泊
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