タイパ(時間のこうりつの速さ)を求め続けるとそんをする
コスパ(すくないお金でとくすること)とタイパ(時間の速さでとくすること)という意しきをすることが当たり前の世の中になっています。なぜムダを残すのか?ムダをなくすことが悪い面をもたらすこととは何かをお話ししています
初めて選挙に行きました。よけいな建物をなくしたり、かいぎ中にいねむりをしている議員を追いここめる良い人に投票したのに、結果はずっと続けてる人が当選しました。どう考えても世の中が良くなる人に年上の世代が投票しないことにはらが立ちます。なぜですか?
いまこの時のいちばん良いことと未来の良いことはちがいます。いま見えていることだけで考えてその場その場で消していくことをすると、結果が見えてくる数十年後に失うものが多すぎます。
上の代の人たちがつくってきたこの国だからこその文化はかんたんに作れないですし、未来を見ても何が新しい芽を育てるかわからない。ふつうの会社の仕事のように今いちばんいい方法だけでは作れないと決める人が多いのだろうと思います。
それはタイパ(タイムパフォーマンス)しゅぎでも言えるのではないでしょうか。きょくたんなことを言えば人間そのものもムダと見ることもできます。その場の一番良い方法だけを見ていると、長い人生で見たら楽しめたムダさえもぜんぶ消してしまうことになりかねない。
そして幸せは自分の人生を、自分できめていけるから感じられるもの。あなたがこの時代をくるしいと思うのは、むしろこまったら国とかに相談するとだいたいが助けてもらえる、ほかの人たちがなんでも助けてくれてきたからこそくるしく感じられるものかもしれません。
せいじ(国とかで決めること)のお話での前置き
人々の考え方も「あたりまえ」も変わる中で、せいじに関しては特に変わっていくことです。ここでお話することでくるしめる人をふやすことは、この場所を作っているオレ(こた)としてはうれしくありません。そのため対立をすることも、反対に特定の人をいいと決めることもしたくありません。自分とちがう意見を言われることで悪くいわれているような気持ちが生まれてしまうかもしれませんが、ダメだというつもりで書いているわけではなく、いただいたしつ問に対するヒントになるかもしれない気持ちで書いていることをわかってほしいです
「必要なムダ」がある?
日本の国とかの議会でねてしまうのは、話し合いのさいしょからあらかじめ決まっていて、同じしつ問について原こうを元にひとことひとこと同じ答えがくり返されることにあります。だからと言ってねむりが良いわけでもなくイメージが悪いことは事実です。ただねむりをしないとしても本しつ的によくなることでもありません。
つまり「大事な議会でねる者はゆるせない……!」としてしまうのは無理があるとも言えます。この日本の議会のつくられ方の良いところ・悪いところについてはこのお話とはなれて長くなってしまうのでここではなくします。
みんなが国にわたしたお金(ぜいきん)を使って働いているのだからというのももっともです。一方で「とにかく目で見えるぶぶんで何か動いていればいい」というのもまたブラックきぎょう的で、なんでもいいから何かすることはごちゃごちゃにさせてしまうこともあることもあるので、ねててもらってた方がいいくらいな人がいる考えもあります
働きアリはなまけ者がいる
お金をもらう会社であればできる人がたいせつにされ、ムダをなくすは当然です。しかし国や町をつくっていく人たちはそういう「会社」ではありません。
どんどんエスカレートしていくお金もうけの競争によってじこが起きて死んでしまった人もいたことは昔に色々とあります。そんなお金をもらう会社の調整を行ったり、この場所に来てほしいとお願いをしたり、安全や不公平をなくす役わりが国などのぎょうせいにはあります。
そして会社と特にちがうのは地しんなどのさいがい時です。こういった時は平時の何倍と人員が必要となります。そういったときはいつもはあまり活やくしない人が、その間をうめることになります。あるてい度のよゆうがないと、いざさい害・きんきゅう時につんでしまい、新たなぼう動やりゃく立つなどのこんらんをうむことがあります。
働きアリは全員が全力で働いているのではなく、なまけ者が多くいるという研究結果があります。全員が全力ギリギリで働くのは平時ではこうりつ的ですが、きん急時はその種類の生き物がめつぼう(全部死んでしまう)してしまうことがあります。なまけ者がきん急時に活やくすることでおぎえることがあるのも事実です。そういったことは今まで起こったさい害時の対おうで実感したところがあるのかもしれません
その場のコスパ・タイパで失う未来
教育や せいじは20年後、40年後を作るものです。きずき上げてきたものを売りはらったりこわしてしまうのはカンタンですが、何百年間のれきしの中で今だけが特別苦しいときだときめてこわしてしまうと取り返しがつかなくなります。
最近の苦しいと感じる感覚で一番かのうせいとして高いのは、親や先生や仕事先で「わたしたちはいい時代だったけどあなたは大変な時代に生まれた」「あなたたちは未来が苦しくてかわいそうだ」と育てられ、自然と今が苦しい時代なのだと思いこまされていることに思い当たることはないでしょうか?それ自体はあなたを思いやるやさしい言葉だったでしょう。ただしそれも積み重なれば暗じのように不幸だと信じ切ってしまいます。そのれっとう感の気持ち(だめなんだというくらい気持ち)をうまく利用するリーダーがあらわれれば結たく(あつまって群れること)したくもなるものです。
むかしを考えてみれば、 人間一生分(約80年)の人生にも満たない今から数十年前では日本でも戦争があり、また明日の日の食りょうもありつけない日が続いていました。今のあなたは明日の食りょうにこまるほど苦しいでしょうか。もし食料にありつけない場合は行せいへご相談いただくとかい決できることがあります。かこの苦しんだ時代は、行せいも手を差しのべてくれることもありませんでした。ものやお金をぬすんででも生活しないと生きのびられないわけです。
だれが悪いではなく、何が苦しくさせているかを見わける
たしかに今のじょうほうか時代(ネットがある時代)はむかしとはちがう苦しみはあると思います。そんなじょうほうの時代はあなたにとって今こそが苦しい時代かもしれない。ただ受け身でだれが悪いんだというじょうほうでごちゃごちゃにさせられるのではなく、その苦しさの原いんである「何が苦しくさせているのか」を見定めないといけません。むかしや他人のせいにすることはカンタンですが、それでは根本的に良くなりません。
「どうしてもだれかが悪い」を決めなければいけないのだとして、実はじょうほうをえらぶあなた自身のはんだん(受け止め方)やのう力にげんいんがある場合もある、そういう方向の考え方もできると思います。
その場だけのコスパ(コストパフォーマンス)・タイパ(タイムパフォーマンス)は気になりがちですが、自分自身がかわいくて今の時代を最ゆう先にするとそれは未来に借金をするのと変わらない面もあるかもしれません。
数十年後の自分がぜったいにこうだと言い切れる人はいません。未来は必ず自分にかのうせいとして返ってきます。そのために未来を見て決めていくことが求められるのかなと思います
あなたの感じるムダはだれかにとって必要なもの
そのことと関わっていることとして、今は「ムダ」と言われることも、続けていればざい産(かち)になるかのうせいがあります。それは例えばだれでも見ることのできる美じゅつ館があるかどうかで変わるものもあります。
なかなか受け止めることがむずかしい人もいるかもしれませんが、世界には言語思考の他に しかく思考があります。これは文字で全てを説明するのではなく、目で見たもので決めたり思考することをメインにしている人たちがいます。マンガやアニメなどクリエイティブでひょうかされているように日本はそのわり合が特に多いようです。
美じゅつ館なんかなくてもネットで見ればいいというのは言語的なはんだんでは正かいであっても大きな見落としがあって、しかく思考の人が時代や立地をこえて手にできる大切な場所だったりするわけです。日本は地方に行っても美じゅつ館や世界一多い水族館、博物館が当たり前のように街中にあるのでなかなか気づきづらいかもしれません
日本のアニメキャラが世界でたから物にされるわけ
またそういったかんきょうがつくられて時間がたってクリエイターが世の中でかつやくされます。その人たちはその土地だけの そうさく物をもたらします。まさに今の日本のアニメやマンガなどさまざまな分野で活やくし、世界ですごいと言われている人たちです。
だれかにとってのムダとおもえるものは、むしろ新しいかちをつくるものだったりする。それが間せつ的にあなたの生活をいいものにしてくれるかのうせいをひめている。そういった見方の見落としもあるかもしれません。
「できるひと」だけでかためられた行せいのこわさ
ジョンエフケネディというひとがアメリカの大とうりょうになった1960年くらいに、いままでのよごれたせいじを全部なくして、できる人だけで集めたせいじでアメリカを栄光の国にしようという流れがあった。
その時は結果的にどうなったか。それはプライドが高く結果的にミスをみとめることもなくおたがいをかばい合う結果を産んだわけです。するとできる人だけがゆたかな世界になってしまう。
多数の意見がゆう先されるのが「しほんしゅぎ」とはいえ、そのせいじへ参加するにもこりつをつくってしまうのは、へいさ的で取り返しのつかない結果を生む。そういった見方もできるかもしれません。
日本の議会だけのもの
そしていまの日本のせいじ体せいとして、トップがどんなに せいぎ感のある目新しい方しんを目指しても、それを決める議会では通らないことがある。トップは長年続けられてこそ、その人の方しんが通るようになるわけです。すると今やっているせいじ家の人が有利になります。
これは一見すると悪い面だらけのようですが、あまりにその場その場の改かくを行いすぎるとどうなるか。それは上に書いたとおりです。
わざわざ対立をあおる人に気をつけたい
何かある ぎもんへのヒントになればと思って書いているため対立したように感じられるでしょうし、少し見たくなくなるなるようなものだったかもしれません。答えとしてはこういった理由で多くの人は今のままを望んでいるかのうせいがあります。
年れい関係なく社会けい験を積んでくると、集まりや会社の中に今までのことをこうりつが悪いことを理由にひていしてかいかくをうったえてかんきょうをはかいする人というのが一人くらい出会うことになります。そういった苦いけいけんから、続けることができないこうほ者を信用できないとなるのも不思議はありません。
なんであってもきょうみ関心があることは大切で、選挙にきょうみをむけられていることはりっぱです。ただネットのじょうほう化時代、部分だけのじょうほうで信じるのではなく。選挙の時だけアピールする人だけを見ないで、日ごろのことも発信者・メディアにまどわされずにけい続して見て自分の言葉で説明できるようにいろんな方向に理かいを重ねていくことが大切と思います。
いろんな人の気持ちに心を重ねてみて、いったんもどって自分がどこに票を投じれば自分や未来に希望が生まれるか。世代間で対立いしきを産んでも、結局は自らも失うもののほうが大きいかもしれません。
せいじ関係なく気をつけてほしいこととして、今の他人だけでなく他の人が作り上げてきた「むかし」「いま」などをふくめて対立をあおって共感をえようとする人はけいかいしておくと身を守れます。その口調が直球であろうと、間せつ的にオブラートに包んでいようと、リーダーをやる人は他人やむかしの他人のがんばってきたことを見る時間はなく、この先をどうしたいか・どう考えているかを見ています。でも人間は悪口にふりむいてしまいます。わかりやすいからです。
気になるこうほ者がいて、具体的にどういう方法を持って次の世界を作ろうとしているのかを見る。もしかしたらその人はひはんや だん結は一流でも、その見方で見たら空っぽだったりしないでしょうか。はかいすることまではいいとして、もしその先に具体せいがないのであれば未来は悲しいものになります
自分の人生は自分であつかえてこそ幸せを実感できる
きほん的に人生は何かこんなんにぶつかったり、じこから身を守るにはじこせきにんです。国外とくらべても仕方ありませんが、日本では多くの場合、国民をほごして助けるようにできています。こうむ員(国や先生)の不正をあばき、理不じんさは正しくしていくように見ていかなければいけませんが、いつだって国などのせいふやぎょうせいが助けてくれると思っている考えこそキケンです。それは他人・行せい・学校に期待しすぎです。
あなたの人生をあなた自身が管理することで、あなただけの幸せは生まれると思います。そう考えると今感じるその苦しさこそ、自分で人生を管理できていないからこそ感じるものであり、せいふやぎょうせいへの期待こそが自らを苦しめていると言えるかもしれません。
あなたもまたとしを重ねて死にます。そんな時に今度はあなたがわかい世代から追いつめられる側にならないように。数十年先を見ていると心の軽くなる世界を作れるかなと思っています