好きという気持ちがわからない
好きが何かというのは、どれほど生きた人でも答えが出ません。もし「好きとはこうだ!」と決めてしまうと、まわりを苦しめたり、はなれられていきます
あこがれや好きというのは、育ったかんきょうがことなることで生まれる感じょうです。自分には持ってないものを持っているから好きになる。つまり一人一人「好き」はちがいます
好きは「同じ」感じょうにつけた名前
例えばもし「好き」という気持ちに答えがあるとしたら、一人の人をめぐって多くの人が争いをすることになると思います。ひとりひとり、あなたも他の人とちがう人生を歩んできたと思います。
だれかにあこがれてまねしたとしても、それはあなたが他の人とはちがうかんきょうに生まれて、自分だけが見てきたものがあります。そういうったものに人間は少なからずえいきょうを受けます。
「リーダー」の役わりと こいびと
人生の全てを一人でこなせる人はいません。電気を使うにしても食べ物を食べるにしてだれかの力を借りています。そこまで大きな話ではなくても、何かを必要としてることをしてくれた人に対して、人はありがとうと思うのは自然なことです。
「部長」や「課長」「生徒会」「リーダー」といった役わりは、ただ単にまとめてくれるだけでなく、その名前がつけられた立場をえることで安心感や信らい感が生まれたり、その立場だったらこうしようという使命感からがんばろうと思える原動力になります。
自分が好きになるかどうかはちょっとおいておき、選んだ人の立場に立てることが重要です。選んだ相手や選んでくれた相手の気持ちになって、相手が必要とされるための努力をすればほとんどの人間にひびきます。
もし好きがはっきりと見えてこないのだとしたら、選んだ人のよろこぶことを行動でしめしてみる。例えば相手が清けつじゃない人が苦手なことを考えれば清けつでいることも努力の一つです。
そうして時に失敗しつつも行動を重ねていくと何人かは必ずありがとうと感じたり好きになってもらえることもあると思います。好きになってもらった時、相手が今何を思っているのかを想ぞうしていくうちに、なんとなくその人なりの好きというのが見えてくると思います。
好きになっても別れる理由
人はみんなちがう、そして自分たちが変えなくとも時代や かんきょうは変化します。今の社会で本当に二人だけの世界で生きるということはできない。例えばこうしてこの文章を見ていることも、インターネットを見ていることも、お店に買い物に行くこともじょうほうを見ることで変化が生まれるからです。
ひとりひとり心の形はちがうから、がんばっても合わない人というのもいます。しかし「長くいないとわからない」ということはなく、相手の心を読めれば自分から合わせていける。相手の心ががんばっても読めなければ、はじめのときは選ばない方がいいということになります。それは自分にも関わっていて、相手を変えるだけではなく作品などいろんなじょうほうをもとに自分の心の形を変えるということもできます。
「運命的な出会い」というのだけに生きると、相手がそういう考えでなくなったり、あるいは体力的なげんかいや おとろえがきたときに変化を受け止められなくなります。そうして「昔のあなたはそうじゃなかった」となるわけです
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